美術品こぼれ話

絵の木枠のはなし(その2)

現在開催中の収蔵品展「彼方からの光」で展示している、正木隆《狭山 9月》の裏面中央の木枠部分です。写真の左右の金具は補強のためのものなのですが、中央に写っている上下2個の金具にご注目下さい。

この金具は、実は切れている横桟を連結するためのものなのです。よーく見ると、木枠がつながっていないことが分かります。

木枠中央の横桟が切れているということは、どういうことなのでしょうか。木枠の全体像は下の写真です。注意して見ると、木枠上部の横桟中央部分と、木枠下部の横桟中央部分も、同様に切れていて、それを金具で強引に結合してあるのです。赤丸で印をつけた部分が、結合箇所です。

大画面の場合、一本の木材で木枠を作れないことはよくあることで、そういう場合は、2本とか3本の木枠を連結して長くするほかありません。しかし連結場所は、木枠全体の強度を保つために、普通は作品の真ん中を避けたり、位置をずらしたりするものです。

この作品の木枠は、中央部分で切れているために、しかもご丁寧に横桟すべて同じ真ん中で切れているために、金具で連結してあるとは言え、強度的にたいへん弱い作りになっています。もし金具が外れたりしたら、画面は真ん中で屏風のように折れてしまうでしょう。そもそもこの大きさの画面であれば、1本の木材で長さは十分に足りるはずだし、その方がしっかりと強いはずなのです。作家はどうしてこのような木枠を作ったのでしょうか?

その謎を解く鍵は、この作品が、この作家の初めての個展に出品されたものだということにあります。

作家、正木隆さんは、美術学校を卒業した28歳のときに、銀座の画廊で初個展を開きました。若い作家がはじめて個展を開くとき、多くの人たちはいわゆる貸し画廊というところを会場にします。貸し画廊とは、1週間とか2週間、その場所を借り賃を払って使うレンタルスペースの画廊のことです。

貸し画廊の多くは、銀座の目抜き通りの1階にあるなんてことはなく、少し外れの通りのビルの2階とか3階とかにあります。無名の若手作家が、表通りの1階のショウウインドウつきの大きな画廊やギャラリーでいきなり展覧会を開けるなんてことは、もちろんないのです。

彼らはビルの上層階の小さなスペースを借りて、なんとか個展を開きます。そこはエレベーターがなかったり、あっても2,3人乗りの小型です。その会場に作品を運び込むには、階段を持ってあがったり、小さなエレベーターに無理やり押し込めたりして、搬入するのです。

でも、だからと言って、最初から小品だけの展示にするなんてことは、若い作家の意欲が許しません。初個展ならなおさら、精一杯の大作を世に問いたいと思う人も多いでしょう。

正木さんも、きっとそうだったと思います。大きな絵を必死に描いて、いざ運び込もうとしたら階段は通らないし、エレベーターにも載らない。そこで、彼はこの絵の木枠中央を切って、絵を半分に折り畳んで運んだのです。木枠の連結は、切れていたのではなく、切ったものだったのです。(この個展を手伝った作家の知人にも、そうだったことを確認しました。)

正木さんは、この個展のあと、気鋭の新人として注目を集めるようになりました。でもそのおよそ5年後、自ら死を選んでしまいました。

切れた木枠と、それをつなぐ金具を見ると、私は若者の覇気というものを感じずにはいられません。その強い気持ちや鋭敏な感性が、彼の人生を短くとも輝かしいものにしたのだと思うのです。