2011年09月29日(木) 作れちゃう
今日、実技室宛に嬉しい郵便物が届きました。
夏休み、美術館へ「希望の門」の絵を送ってくれた福島県いわき市立湯本第一小学校のこども達からからでした。
中にはこんな写真が入っていました・・・!
8月に行われた、「夏休みこどもワークショップ」で静岡のこども達が、被災地のこども達のために刷った、オリジナルシルクスクリーンプリントのTシャツを着ています!!エコバックも使ってくれています。
みんなの笑顔がキラキラ輝いています。嬉しいですねーー!!
とても温かい気持ちになりました。
中には夏休みこどもワークショップに参加してくれたこどもたちと、静岡大学付属小学校に宛てたこんな手紙も同封されていました。
こどもたちが描いた絵、作ったTシャツが、福島のこども達と静岡のこども達を結び付けました。
私たちも、湯本第一小学校のみなさんに負けないようにがんばります!
湯本第一小学校のみなさん、夏休みこどもワークショップに関わってくださったみなさん、本当にありがとうございました。
2011年09月27日(火) 美術館の独り言
学芸員の仕事はいろいろです。こんな仕事もあります。
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九州国立博物館(九博)に出かけました。静岡県美に12月巡回される「草原の王朝 契丹―美しき3人のプリンセス」展が、九博で開幕するのに合わせた長期出張です。
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展示作業の視察。作品の展示方法あるいは作品に注意するところがないかなど確認します。また、静岡での展示の構成も考えます。
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展示室以外にも、いろいろなところを見学しました。ショップの様子―どんなオリジナルグッズがあるか?…。すばらしいグッズたくさんありますのでお楽しみに!*
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その他、関連の体験コーナーも取材しました。「プリンセス着せ替え」のコーナーです。自分でやってみましたが(笑)、うまくいかなかったので、その後モデルをお願いしました。面白いので、静岡にも持ってきたいと考えています。
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これはプレス向け内覧会の様子。説明しているのは、本展担当の市元塁研究員(学芸員)です。静岡に来てもらい、展示指導および講演会講師をやってもらうことになっています。よろしくお願いします。
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そして開会式に出席。取材しました。出席者いつもより多いとのこと。展覧会への期待がうかがえます。9月27日から一般公開です。
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最後、中国人のクーリエ(展示作品確認のため来日した博物館関係者)と記念写真パチリ(ただしピンボケ)。この前夜には会食し、日中友好もはかりました。「謝謝!!」「辛苦了!」…?
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この契丹展、展示品は一級品。すばらしい展覧会です。絶対にお勧めですので、お楽しみに!静岡での展覧会は12月17日からですので、しばらくお待ちください。(あわてて九州にいかなくても大丈夫です。)
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4日の滞在の間、いろいろな人と交流を深めました。九博の研究員ほか職員の方はもちろんのこと、輸送展示の作業員、ディスプレイ関係者、ショップ関係者および新聞社やテレビ局などマスコミ関係者などなど…。こういうのも学芸員の仕事です。展覧会準備に関わる一連の仕事、意外に知られていないのではと思い紹介しました。
2011年09月25日(日) 美術品こぼれ話
現在開催中の収蔵品展「彼方からの光」で展示している、正木隆《狭山 9月》の裏面中央の木枠部分です。写真の左右の金具は補強のためのものなのですが、中央に写っている上下2個の金具にご注目下さい。
この金具は、実は切れている横桟を連結するためのものなのです。よーく見ると、木枠がつながっていないことが分かります。
木枠中央の横桟が切れているということは、どういうことなのでしょうか。木枠の全体像は下の写真です。注意して見ると、木枠上部の横桟中央部分と、木枠下部の横桟中央部分も、同様に切れていて、それを金具で強引に結合してあるのです。赤丸で印をつけた部分が、結合箇所です。
大画面の場合、一本の木材で木枠を作れないことはよくあることで、そういう場合は、2本とか3本の木枠を連結して長くするほかありません。しかし連結場所は、木枠全体の強度を保つために、普通は作品の真ん中を避けたり、位置をずらしたりするものです。
この作品の木枠は、中央部分で切れているために、しかもご丁寧に横桟すべて同じ真ん中で切れているために、金具で連結してあるとは言え、強度的にたいへん弱い作りになっています。もし金具が外れたりしたら、画面は真ん中で屏風のように折れてしまうでしょう。そもそもこの大きさの画面であれば、1本の木材で長さは十分に足りるはずだし、その方がしっかりと強いはずなのです。作家はどうしてこのような木枠を作ったのでしょうか?
その謎を解く鍵は、この作品が、この作家の初めての個展に出品されたものだということにあります。
作家、正木隆さんは、美術学校を卒業した28歳のときに、銀座の画廊で初個展を開きました。若い作家がはじめて個展を開くとき、多くの人たちはいわゆる貸し画廊というところを会場にします。貸し画廊とは、1週間とか2週間、その場所を借り賃を払って使うレンタルスペースの画廊のことです。
貸し画廊の多くは、銀座の目抜き通りの1階にあるなんてことはなく、少し外れの通りのビルの2階とか3階とかにあります。無名の若手作家が、表通りの1階のショウウインドウつきの大きな画廊やギャラリーでいきなり展覧会を開けるなんてことは、もちろんないのです。
彼らはビルの上層階の小さなスペースを借りて、なんとか個展を開きます。そこはエレベーターがなかったり、あっても2,3人乗りの小型です。その会場に作品を運び込むには、階段を持ってあがったり、小さなエレベーターに無理やり押し込めたりして、搬入するのです。
でも、だからと言って、最初から小品だけの展示にするなんてことは、若い作家の意欲が許しません。初個展ならなおさら、精一杯の大作を世に問いたいと思う人も多いでしょう。
正木さんも、きっとそうだったと思います。大きな絵を必死に描いて、いざ運び込もうとしたら階段は通らないし、エレベーターにも載らない。そこで、彼はこの絵の木枠中央を切って、絵を半分に折り畳んで運んだのです。木枠の連結は、切れていたのではなく、切ったものだったのです。(この個展を手伝った作家の知人にも、そうだったことを確認しました。)
正木さんは、この個展のあと、気鋭の新人として注目を集めるようになりました。でもそのおよそ5年後、自ら死を選んでしまいました。
切れた木枠と、それをつなぐ金具を見ると、私は若者の覇気というものを感じずにはいられません。その強い気持ちや鋭敏な感性が、彼の人生を短くとも輝かしいものにしたのだと思うのです。